静商同窓会関西支部 90年の足跡
同窓会本部創立と同時に京阪神地区として京阪支部がスタートして爾来、支部名は大阪支部、関西支部と変遷したが、大東亜戦争前後の一時期を除いて活動を続け今日に至っている。
この間の90年の歴史を簡単に振り返ってみる。
昭和10年(1935年)
同窓会本部創立と同時に京阪神地区として京阪支部創立(当時の会員85名) |
昭和13年(1938年)
京阪支部は大阪支部と神戸支部に分かれた。 |
昭和25年(1945年)
同窓会名簿には支部名の記載が全く ないものの、世の中はまだまだ戦後の混乱状態が続いていた時代の昭和27年、母校硬式野球部が春の甲子園選抜大会で優勝した時、大阪支部は甲子園の地元支部として選手や応援団の受け入れに会員総出で支援した。(硬式野球部の初代主将仁藤棟吉氏(27回卒)は、当時神戸大丸百貨店の幹部として在職中) |
昭和32年(1957年)
同窓会名簿には大阪支部のみで神戸支部の記載がないことは、戦後再活動の際大阪支部に一本化した。 母校硬式野球部が昭和29年夏の甲子園大会で準優勝した折は、春の優勝の時と同様に選手応援団の受け入れに大阪支部は尽力した。 さらに大阪支部は、大阪静岡県人会と準優勝祝賀会を共同開催し、当時の県人会会長である中井大阪市長が出席するなど選手たちを大歓迎した。 その後の昭和43年夏の準優勝の時も県人会と祝賀会を共同開催した。 上記の他、母校が昭和50年までの甲子園に春夏出場した時(9回)は、支部挙げて選手応援団等の受け入れに尽力した。 (参考)近畿静岡県人会の記録によれば、静岡県代表の高校が全国大会で優秀な成績の時に祝賀会を開催したのは、静商の甲子園準優勝の2回だけである。(関西開催の大会は野球、サッカー、ラグビー) |
平成7年(1995年)
これまでの大阪支部を関西支部に改称し、新たな会則と新体制の下に再出発した。(当時の会員89名) 支部独自の活動以外に、大阪静岡県人会の諸行事に支部として共同参加し、会員交流の機会を広め今日まで続いている。 |
平成11年(1999年)
こ母校創立百周年記念に静岡新聞連載記事「波メロディーを奏づれば」の冊子(コピー)を会員に贈呈(静商百周年に因んだ記事 44回連載) 母校創立百周年を記念して支部独自の祝賀会を開催した。 |
平成16年(2004年)
関西支部改称10周年記念に記念品を会員に贈呈 上坂浩通画伯(元支部長41回卒)作品の写(額縁入り) 「大崩峠の富士」(画集「日本の美 富士」美術年鑑社発行に掲載) 母校が関西地区開催の全国大会出場の折りは、支部挙げて応援に行く ・硬式野球部 平成18年32年振りの夏の大会甲子園球場 ・軟式野球部 平成12、15,17年夏の兵庫県明石・高砂球場 ・そ の 他 バスケットボール・ソフトテニス・相撲・水泳各部 |
平成26年(2014年)
大阪支部創立80周年および関西支部に改称20周年記念行事を実施。 〇感謝状贈呈 元本部役員 大津一晃氏(56回卒) 〇記念ツアー 静高との定期戦応援、故上坂元支部長墓参 母校および「静商ゆかりの地」碑訪問 〇記念品贈呈 「映像と音楽で綴る我が母校」DVD・CD3点セット ・母校の歴史 「昭和後期編」 ・静商硬式野球部優勝六十周年記念他 ・校歌応援歌、音楽部思い出曲集 〇記念誌発行 「関西支部80年の歩み」A4版65ページ(製作資金は本部と会員個人の寄付で全額賄う) |
令和7年(2025年)
支部創立時の京阪支部から大阪支部、さらに関西支部に呼称は変更したが、今日まで支部活動を続けて90年が経過した。 近年は関西地域への卒業生の減少のため、現在の会員数は30名程に減少しているが小世帯なりの活動を続けている。 これからも関西支部の名が永遠に消えることのないように願っている。 |
以上
令和7年(2025年)8月
関西支部 支部長 富坂誠二